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ダーツができなくなって辞めたわけじゃない。だから諦められなかった

ただ、まっすぐに。真面目で溢れんばかりの情熱と自信。

1つの質問に対し、目線を逸らすことなくまっすぐ筆者を見つめて受け答えをする。その目はとても力強く、プロ復帰に向けてやる気と自信に満ち溢れていた。

「一言も取りこぼしたくない」取材当日は必死にペンを走らせ、帰宅してからはレコーダーを何回も再生したのは言うまでもない。

浅野充照プロ(27)。2014年に1度JAPAN所属のダーツプロ選手として活動していたものの、わずか2年で引退。

その4年後再びJAPANプロテストを受験し合格。2020年4月から再びダーツプロ選手として活動をする”新米”ダーツプロ選手だ。

 

ダーツが嫌になって辞めたわけじゃない。だから諦めきれなかった。

 

彼のダーツライブのレーティングは16。トッププロ選手と引けをとらない。いろいろな人と対戦したくて、「紅虎」としてオンラインに潜むこともあるという。

そんな彼がダーツをはじめたきっかけ、プロ時代から引退して今に至るまでの思い・これからの活動について語ってもらった。

 

同級生に誘われて行ったダーツ。負けたのがただ悔しかった

レーティングは週に1度しかチェックしないのがこだわり

 

僕は相当な負けず嫌い。たとえ遊びだとしても、負けた事実に納得できなくて。とにかく悔しかったんです。

「1ヶ月でお前に勝ってやるから待ってろ!」そう宣言してから毎日ムキになって練習しましたね(笑)

どこにでもあるネットカフェで借りられるハウスダーツでひたすら打ち込みました。結果的に友人に勝てたんです。でもこのたった1ヶ月の練習期間でダーツ魅力にどっぷりはまりました(笑)

 

父の影響で始めた野球は小学校から大学在学中まで続けた。ダーツに対するイメージは”若いお兄ちゃんがタバコや酒をひっかけてやる、ちゃらちゃらした遊び”。よく一般的な人が抱くイメージと何ら変わりはない。

 

ダーツに対するイメージって正直言って良いものではないと思います。実際僕も友人に誘われるまではマイナスイメージが強くて。「ダーツなんて・・・」って思っていたから。野球一筋の高校球児だったんで、余計にマイナスイメージが強かったんですよね。

でも実際は違った。衝撃的でしたね。真ん中にただダーツが1本刺さるだけで「おぉぉぉぉ!!入った!!」って。嬉しくて何時間も投げ続けました。「野球以外にこんなにハマるものがあるなんて」って。当時の僕にとってはかなり新鮮だったんです。

 

厳格な両親の元で育てられた浅野プロにとって、ダーツとの出会いは価値観が変わるきっかけともなったという。

 

僕の両親はとても厳しく考え方も古風な人。実際ダーツに対して悪い印象しかもっていません。「今すぐダーツを捨てろ」なんて言われたこともありました。

時には通っていたダーツバーに乗り込んで来て、親子喧嘩をしたこともあるくらいです。ダーツに良い印象を持っていないのは今も変わっていません。こんなに素晴らしいスポーツなのに。

だから僕自身が「ダーツは野球と同じように熱くなれるスポーツなんだよ」「大人から始めても可能性が溢れているんだよ」と、ダーツのプロ選手・WMプロダクションの一員として発信し続けていきたいって思っています。

少しの動きと力加減で大きく飛び方が変わるとっても繊細なスポーツ。やればやるほど技術が磨かれるし熱くもなれるし、人とのつながりが増えていく。魅力でしかないんです。ダーツって。

 

「逆境があるからこそ、人は強くなれる。」この言葉がまさにぴったりであろう。まっすぐ力強い目で語りかける浅野プロを前にして、心に響くものがあった。

 

ダーツをはじめた当初はフェニックスプレーヤーだった

使用カードは全部で5枚。状況に応じて使い分けている。

4月からJAPANプロツアーに参戦する浅野プロ。実は最初はダーツライブではなく、フェニックスプレーヤーだったそうだ。

 

今でこそダーツライブをメインに使用していますが、ダーツのスタートはフェニックスだったんです。当時大学生だった僕は仙台で1人暮らしをしていて。

当時宮城・仙台エリアはフェニックスが主流で、ダーツライブが店舗に入ってきたのはその2年後でした。よく投げていたお店にダーツライブが導入されてからは、どちらでも投げられるようにダーツライブのカードを作ったんです。そこからはずっとライブですね。

ダーツを投げ始めたときのレーティングはCCC6。初めて触れたときのダーツライブレーティングは11、AAフライトだ。ここまで登り詰めたのは、持ち前の「極度の負けず嫌い」が功を成したのだろう。

 

「1ヶ月で絶対勝ってやる!」と友人に啖呵を切ってからはひたすら練習して。でも友人に勝っただけでは満足できなかったんです。「もっと上手い人に勝ちたい」「もっと強くなりたい」そんなダーツ欲ばかりが沸いてました。

当時は自分よりレーティングが上の人を捕まえては、その人に勝つためだけにひたすら練習をする。この繰り返しの日々でした。

友人に勝つためだけに練習したダーツ。気がつけば週6日投げるダーツ漬けの生活が始まっていたという。

初めて買ったマイダーツはTARGET(ターゲット)TEPPEN2013モデルエベレスト。マイダーツを買ったきっかけは“大会に初めて出るのに流石にハウスダーツはまずいから”。

友人に勝つために練習したのもハウスダーツ。大会に出るスキルに上達するまでずっとハウスダーツを使っていたというのも驚きだ。

参照:TARGET(ターゲット)TEPPEN2013モデルエベレスト

さらに強い人を求めて行き着いたのが山形のダーツバーYAMATO(大和)

浅野プロ在籍中山形のダーツバーYAMATO(大和)

浅野プロのダーツスキルをさらに上げたのが現在のホームショップ、山形にあるYAMATO(大和)との出会いだったという。

JAPAN所属浴本昇吾プロ、鈴木真一プロ、JAPANLADIES長岡 淳子プロをスポンサードしているダーツバー。リーズナブルにダーツを投げられ、アットホームな雰囲気から毎日たくさんのダーツプレイヤーが足を運ぶ。

2020年4月からツアー復帰をする浅野プロともスポンサー契約が決まった。

 

実は僕、大学を中退したんです。もちろんダーツは続けていました。仙台から山形に帰って働き始めたのですが、当時飲みに行っていたお店にダーツがあって。

でもそこのダーツはお飾り程度。「うちに来てもダーツを投げる人はいないよ」ってオーナーさんに言われたんです。

僕はとにかく自分より強い人と対戦したかったので、山形でうまい人が集まるダーツバーを聞いたんです。その時に紹介されたのがYAMATO(大和)でした。

当時のレーティングはダーツライブで11(AA)。ダーツプレイヤーから見ると浅野プロのスキルの高さがうかがえる数字だ。しかし、紹介されて行ったダーツバーYAMATO(大和)で待っていたのは、敗北だった。

 

当時のYAMATO(大和)には、オーナーとJAPAN所属プロの方が2名在籍していました。山形で強い人と戦える嬉しさや期待を込めて対戦したものの、見事に完敗。当然なんですけど1勝もできませんでした。

もうその日は本当に悔しくて…。泣きながら帰りましたね(笑)超がつくほどの負けず嫌いの僕は、3人に勝つためだけにYAMATO(大和)に通いつめる日々。気付いたらJAPANプロになるまでダーツへの情熱が溢れてました。

 

“勝ちたい””負けたくない””上手くなりたい”漠然としたイメージではなく、”この人に勝ちたい””この人に勝つためにはどこを強化するべきなのか?”具体的な目標を設定し日々練習する。

これこそ、浅野プロの強さであり魅力なのだろう。向上心の塊でもある浅野プロの頭をよぎるのは、やはり”上京”だ。

 

とにかく僕よりも強い人を求めていたんです。もちろんダーツをやっていく中で上京を考えました。何度も何度も。でも僕はそこまで器用な人間ではありません。

“仕事・ダーツ・プライベートの両立”。もちろんたくさんのプロの方が同じように仕事とダーツを両立させています。でもまずは山形で1番になるのが先だなって。”上京してダーツをする”ではなく、”強くなってから次のステージを目指す”。形よりも中身を充実させたいなと思いました。

若いときは上京を考えましたが、今は東北を出るつもりはありません。山形に固執しているわけではないけれど、東北を拠点にダーツをしたいと思っています。僕のルーツでもあるから。

 

“今教えたら、俺は超えられてしまう”JAPANプロの一言に言葉が詰まった

投げるのが楽しくて仕方がないと終始笑顔の浅野プロ

浅野プロのダーツ人生において忘れられない出来事がある。JAPAN所属浴本昇吾プロがYAMATO(大和)のハウスイベントゲストとして出場したときのことだ。

 

浴本プロはYAMATO(大和)のハウスゲストとして毎年いらっしゃいます。ハウス前日に1メドレー、そしてハウス当日に対戦をさせていただきました。もちろんストレートに負けましたよ(笑)

ハウス終了後の打ち上げに参加したんですけど、隣の席が浴本プロでした。浴本プロが周りにいたダーツプレイヤーに丁寧にアドバイスをされていたので、僕も聞きたくて質問したんです。

でも浴本プロは「はいはい」「ちょっと待ってて」と言って僕の質問に答えてくれませんでした。

 

周りのダーツ仲間達には細かくアドバイスをする浴本プロ。”プレイヤー個人を観察し、その人に合った今できるベストを教えこむ。プレイスタイルだけじゃなくて教え方も一流。それが浴本プロだ”。と浅野プロは語る。

 

打ち上げが始まって数時間。お酒もいい感じにまわってきて、当時若かった僕は勢いあまって「何で僕には教えてくれないんですか!?」って聞いてしまったんです。今考えたら、もう冷や汗もの…。本当に失礼だったと思います(苦笑)

でも浴本プロは僕の失礼な態度に対して咎めることなくこうおっしゃったんです。”今教えたら、俺は超えられてしまうから”って。

全く予想していなかった一言に「・・・ん・・んえ!?」って(笑)言葉が詰まりました。

 

“鶴見に俺と一緒に来れば、半年間で入れ替え戦まで行く技術を教えられる自信がある。仕事も全部辞めて半年間ダーツに集中できるなら教えてあげる”。思いもしない浴本プロの言葉。しかし、当時の浅野プロは一緒に行く決断ができなかったという。

 

今だったらもちろん喜んで行くと思います。でも当時21〜22の僕には、仕事を辞めて山形も出てダーツのためだけに上京する決心がつきませんでした。

だからこそ浴本プロに僕の姿を見て欲しいです。あの時ついていかない決断をしてプロにまでのぼりつめた僕の姿を。

もちろんJAPANの大会でもぜひ対戦したいと思っています。出会ってからずっと応援しながらも、一歩近付きたい憧れのダーツプロでもあるから。

 

“今だったら終始笑って対戦できると思う”。力強い眼差しで口にしたこの言葉こそ、浅野プロが数年かけて身につけてきたダーツに対する自信そのものであろう。

 

念願のプロ生活はわずか2年。現実が目の前に立ちはだかる

プロリーグ以外にも東北の大会に数多く出場

ダーツに対しての情熱が溢れる浅野プロだが、プロ生活はわずか2年で終わる。”ダーツがやりたい””もっと強い人と戦いたい”その気持ちとは裏腹に立ちはだかる現実。それはスポーツ選手が抱える悩みの1つ”金銭面”だ。

お金がもたなかったんです。僕は東北エリアを拠点にしていますが、関東エリアの大会にもダーツ仲間と一緒に車で乗り合いして大会に出ていました。

JAPANのエントリーフィー(施設使用料)は1回15,000円。さらに高速代や現地滞在費もかかります。

JAPANだけでなく一般大会やハウスにも出るためパンク寸前でした。当時働き始めの僕には相当きつくて…。

前回もスポンサーについてくださったYAMATO(大和)のオーナーに「すみません。もう続けられないです。」って言いました。悔しくて情けなくて。あの時の感情は今でも忘れません。

 

2016年に引退。プロ生活を辞めたあとはひたすら働いた。ダーツを投げるのは月1回行くかどうか。ダーツに触れることなく、ただがむしゃらに働き続けたという。魅力の塊だったはずのダーツに対する情熱は次第に減っていった。

そんな浅野プロを再びダーツの世界に戻してくれたのは、ダーツ仲間から届いた1通のLINEだった。

復帰の決め手となった大会。

“お前、そろそろ復帰していいんじゃねぇの?”って。ダーツ仲間からLINEが届いたんです。辞めてからはただひたすら働いていた僕ですが、決してダーツが嫌でやめたわけじゃなくて。

 

あの時抱いた悔しさ・情けなさを感じたまま諦めたくありませんでした。”ダーツを投げるきっかけや可能性を探るためにも、大会に出よう”と言ってくれたダーツ仲間と、その大会だけのために2ヶ月毎日練習をしました。

 

シングルは出場せずダブルスだけに集中。結果、見事優勝した。勝った時、思わずしゃがみこんだという。

 

もうとにかく嬉しかったです。本当に。ダブルスタートの試合だったんですけど、とにかく入らない。決勝に行くまでは調子がよかったのに、いざ決勝戦が始まった途端うまくいかなくて。

当時の動画がYoutubeに残っているんですけど、本当酷かった(笑)でもこの大会がきっかけで、僕の中でモヤモヤしていたダーツに対する欲が再燃しました。ダーツ仲間には本当に感謝しています。

 

1度経験したからこそプレッシャーがのしかかった、JAPANプロテスト。

ケガをしてどうしても投げられなくなったわけではない。金銭的な理由で諦めた自分が情けなかった。この大会以降、再びダーツと向き合い練習に励む日々がスタートした。

“いけるかもしれない”。

そう思った2019年1月、1年後にプロテストを受けることを決意。2020年1月にダーツハイブ仙台店でプロテストを受験。見事1発で合格した。

参照:【祝合格】ダーツJAPANプロテストを受けてきました

 

ダーツを上手くなるためにプロ選手の動画をとにかく研究

現在のセッティング。ここに行き着いてから5年は変えていない。

ダーツは背が低い・高い関係なくできるが、自分にマッチするフォームを見つけるまでが大変なスポーツだ。浅野プロの身長は190cm。日本人の平均身長よりもはるかに高い。

 

僕が参考にしたのは、高身長の谷内太郎プロです。谷内プロはモデルをされているダーツプロ選手で身長が192cmあります。体格が似ているプロの投げ方はすごく参考にさせていただきましたね。立ち位置・姿勢・セットするまでの動きなど、とにかく動画を見て勉強しました。

 

谷地プロの動画で投げ方はイメージしやすく、僕のフォームも「これだな」と思う部分まで定められました。でも、投げる時のユーミングだとか、タイミングがわからなくて。テイクバックのリズムの取り方は鈴木猛大プロを参考にさせていただきました。

どこまでも真面目で研究熱心な浅野プロ。しかしそんな彼が今でも意識しているプロ選手がもう1人いる。

 

同じ山形で活躍し、YAMATO(大和)でもスポンサーについている鈴木真一プロです。一番身近で、僕の周りにいるダーツプレーヤーの中でも一番強いんです。おこがましいとは思いつつもいつかは超えたいですね。そしてもっと皆さんに鈴木プロの魅力を知ってもらいたいと思っています。

ダーツプロ選手は結果を残しているトッププロだけでなく、PERFECT所属の那須プロ同様、魅力的な選手がたくさんいるんです。僕自身も皆さんにそう思っていただけるプレイヤーになりたいですね。

参照:【取材】ダーツも看護師も”自分らしく”〜PERFECT所属那須陽平プロ〜

 

“ダーツに対して挫折したことはない、自信しかない。でないとこんなに続けられないと思うから”。

浅野プロが発する言葉1つに引き込まれ、ダーツがいかに魅力的なスポーツなのかを強く感じ取ることができた。

ダーツのプロはただ技術が優れているだけでは魅力を感じない。プレイスタイルを始め、いかにダーツを知らない人達にダーツの魅力を伝えられるか?立ち振る舞いや人柄も大切な要素だろう。

取材がスタートしてから終わるまで、ダーツへの魅力や自分の思いをまっすぐ語ってくれた浅野充照プロ。

ダーツJAPANツアーは2020年4月11(土)神奈川から開幕する。浅野プロの今後の活躍に期待したい。

writer by Cham

JAPAN所属浅野充照プロフィール

 

Photo
名前 浅野 充照
生年月日 1992年6月13日
出身地 山形県山形市
所属団体 JAPAN
スポンサー YAMATO-大和-/NIMITZ/WMプロダクション
ダーツセッティング プレミアムリップポイントNO5
Lフライト(ティンプルZ)
Lシャフトカーボン(260)
バトラスホーク(DMC18.5g)
レーティング DARTSLIVE:16

山形県山形市出身。地元の会社で溶接・配管業に従事。元高校球児で野球をやりたくて大学に進学するものの、高校時代に手術した肘が悪化し断念。2013年にダーツに出会ってから現在まではまり続け、JAPAN所属プロに。東北・関東エリアのJAPANプロ大会をはじめ、山形県内のハウスや東北の一般大会にも出場中。

 

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